スターピープルより

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DASKALOS / Photo by Haralambos
祈りとは何か?
訳:根本泰行
Copyright © by Pnayiota Theotoki-Atteshli

ダスカロス(スティリアノス・アテシュリス:1912-1995)

生涯を通して無償で多くの人を救い、無条件の愛を示したヒーラー。多くの人々から尊敬を込めて「ダスカロス」(ギリシャ語で"先生"の意味)と呼ばれ慕われた。彼亡き今もその言葉と存在は、我々探究者の道を照らし導いている。

1990年1月22日にキプロス島のストアで行われたダスカロスとの間の質疑応答より
問:祈りとは何ですか。そして祈りはどのように働くのですか。

 想念や感情や言葉(言葉は想念や感情を表現するものですから)はすべてエレメンタル(思考形態)(*1)を創造する、と私たちは言ってきました。私たちがそれを見ることができようができまいが、エレメンタルは必ずしっかりとした形態を持っています。この形態は、それ自身で生命を持っています。エレメンタルはすべて生きているのです。そしてエレメンタルは、創造者としてそれを投影した者の知性を備えています。

 

 さてそれでは、祈りとは一体何でしょうか。明らかに、祈りはすべて、祈る人の想念や感情や願望を表現しています。さてそれでは、祈りとは一体誰に対して祈るのでしょうか。もしローマ・カトリックや正教のキリスト教徒であれば、キリストに祈るでしょう。東方教会のクリスチャンであれば、聖母マリアに祈ることもあるでしょう。イスラム教徒なら、非人格神であるアッラーの神や預言者に対して祈ることでしょう。ヒンズー教徒であれば、彼らの神々であるクリシュナやその他の聖なる存在に対して祈るでしょう。

 

 祈りとは何でしょうか。すべての祈りはエレメンタルを創造します。こうして創られたエレメンタルは、通常はその祈りが向けられた神や人物、聖者、キリストなどの形態を取るようになります。その形は、祈りを捧げる人が、祈りの対象となる神や人物が描かれた絵画などから想像したものになります。そしてエレメンタルはそれ自体で知性と特質を備えているのです。

 

 次に、こうした祈りがどのように働くのかを理解する必要があります。今この時に、キリストとは一体誰のことでしょうか。クリシュナや聖母マリアとは一体誰のことでしょうか。そしてまた様々な聖者たちとは誰でしょうか。肉体の死は、その身体の中で生きていたパーソナリティー(*2)の終焉を意味するのではない、ということを私たちはよく知っています。そしてまた、彼岸に渡っていく人々は、みずからのエレメンタルの総合計をそのまま身につけて向こう側に渡って行きます。それは肉体の中に生きていた時に身につけていたものです。これらのエレメンタルによって、人々は地獄を創ったり、天国を創ったりするのです。現在、地獄や天国にいないのであれば、彼岸に渡った時にも決して天国や地獄に行くことはないのです。

 

 この惑星における私たちの「現在のパーソナリティー」(*3)としての人生は、これらのエレメンタルの総合計となっています。同じように、祈りもまたある種のエレメンタルなのです。

 

 さて祈りですが、人が祈る時には、その人の心の中に、祈る対象である神や人のイメージがあります。さてエレメンタルは、それが創られると外に出て行き、やがてはそれを創り出した人の元に戻ってくる、と私たちは説明しています。キリストはこのことを新約聖書の中で言及しています(*4)。それでは、これらのエレメンタルはどこに向かって行くのでしょうか。それは明らかに、イエス・キリストへとまっすぐ向かって行くのです。聖母マリアに祈るのであれば、聖母マリアにまっすぐ向かって行くのです。けれども、聖母マリアは一体今どこにいるのでしょうか。そして聖者たちはどこにいるのでしょうか。彼らは今存在しているのでしょうか。もちろん彼らは存在しています。なぜなら、肉体を後に残して彼岸に渡ったとしても、それは此岸において聖者として生きていた時のパーソナリティーの消滅を意味するのではないからです。

ダスカロス

(終わり)

訳注

(*1)エレメンタル

人が心に抱く想念、願望、欲望、感情、思考などはすべてエレメンタルと呼ばれる。五感で見ることはできないが、エレメンタルには特有の色や形がある。いったん作り出されたエレメンタルは消えることはなく、いつの日か必ず作られた時に設定された目的を成就する。

 

(*2)パーソナリティー

このパーソナリティーとは次項の「現在のパーソナリティー」を指している。

 

(*3)現在のパーソナリティー

「現在のパーソナリティー」とはほとんどの人が自分自身であると考えている存在であり、太郎や花子などの特定の名前を持ち、特定の肉体・感情体・精神体を持っている。死を迎えたときには、これらの3つの身体のうち肉体のみを手放すことになるが、感情体と精神体はそのまま引き継がれて、サイキカル界に移行していく。

 

(*4)新約聖書の中での言及

キリストは以下の部分でエレメンタルの性質のひとつについて言及している。『けが汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、「出て来たわが家に戻ろう」と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。(マタイ12章43〜45 節)』。ここで、汚れた霊とはエレメンタルのことである。「エレメンタルはそれを創った人の元から外に出て行くが、同じ波動を持ったエレメンタル同士が寄り集まってより強力な存在となって、創った人の元に必ず舞い戻ってくる」ということをたとえ話で説明している。

(株)ナチュラルスピリットより転載許可済 このページのトップへ