スターピープルより

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DASKALOS / Photo by Haralambos
シンボル・オブ・ライフ
訳:根本泰行

ダスカロス(スティリアノス・アテシュリス:1912-1995)

生涯を通して無償で多くの人を救い、無条件の愛を示したヒーラー。多くの人々から尊敬を込めて「ダスカロス」(ギリシャ語で"先生"の意味)と呼ばれ慕われた。彼亡き今もその言葉と存在は、我々探究者の道を照らし導いている。

 


 

 『シンボル・オブ・ライフ』は、キリスト教的神秘主義におけるひとつの象徴体系です。10個のセンターと、センター間を繋ぐ径(みち)が、生命そのもの、すなわち創造の全過程と、人間が原点に回帰する方法を表現しています。現在に至るまで、『シンボル・オブ・ライフ』は、教えを学ぶ者たちの小さな集まりの中でだけ伝えられてきました。
 キプロス人であり、神秘家としてもヒーラーとしてもよく知られたスティリアノス・アテシュリス博士は、『シンボル・オブ・ライフ』の歴史を辿りながら、その象徴体系について解説しています。彼は読者に対して、より高いレベルの意識に到達するために、生命と創造のさまざまな局面について瞑想してみることを勧めています。

ダスカロスの書いた
『シンボル・オブ・ライフ』 の本

 この本の中で示される『シンボル・オブ・ライフ』は、純粋にキリスト教的な体系です。それは古代エジプトの『シンボル・オブ・ライフ』が、アンク-エン -アトンがエジプトの王(ファラオ)であった治世に、王子でありかつ高級司祭でもあったコル-アトン(コル-アモン)によって変更され、修正を施されたものなのです。

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ダスカロス自身が書いた文字
『シンボル・オブ・ライフ』より

 コル-アトンは、再びエジプトにて、キリスト教の司教オリゲネス(オリゲン)として転生しました。オリゲネスは、聖ヨハネによって書かれた新約聖書の中の黙示録を用いて、シンボルの聖なる部分などに多少の修正を加えた後に、(現在の形の)『シンボル・オブ・ライフ』をエッセネ派の人々に伝えました……。

 

 [モーセの時代には]エジプトのシンボル・オブ・ライフはまったく注目を浴びることなく、太陽神アモン-ラーの神殿のいくつかで装飾として見られたに過ぎないものでした。ごくわずかの司祭たちがそれを活用していました。シャク・ニウ-ムー・モーシス[モーセ]はその中のひとりでした。

 シャク・ニウ-ムー・モーシス[モーセ]は、自己意識を高いレベルへと持ち上げていくことができました。彼は宇宙の知的存在と交流することができ、そうした存在たちを召還することによって、彼らの力を自由に操ることができました。こうして彼は偉大な奇跡を成し遂げることができたのです。

 旧約聖書の中の「出エジプト記」には、奇跡的な出来事や災いに加えて、エジプトのシンボル・オブ・ライフを利用することによってモーセが成し遂げることができた数々の業について明確に記されています。

 シャク・ニウ-ムー・モーシス[モーセ]は、エジプトのシンボル・オブ・ライフに変更を加えて、「エツ・ハー・チャイム」、すなわちヘブライ人のカバラである「生命の樹」を作り出しました。

 「エツ・ハー・チャイム」の中では、そのセンター(セフィラ)からエジプトの神々の名前が取り除かれ、ケテルやイェソドなどの新しい名前が付けられました。

 「エツ・ハー・チャイム」を表す図を見ると、セフィラ(センター)の上に、天使の名前や大天使の名前が書かれていることが分かります……。真理の探求者が用いているシンボル・オブ・ライフでは、個々のセンターにおいてすべての大天使たちと交流することができます。

 多くの危険に取り囲まれていた[先史時代の]人間は、自分を守るために、より力の強い存在に頼ることが必要であると感じていました。人生の中で困難な状況に直面した時に、必要な勇気を奮い起こすために、人間は神々を創造したのです。

 人々は太陽を崇拝していました。そして太陽神こそが自分に強さを与えてくれると感じていました。人々は、月や火や河や山や自然を崇拝していました。人々はしばしばこうした神々が人間の姿をしていると考えました。そして神々に名前を付けたりもしました。

 

 人々が崇拝していたこれらの神々は、言うまでもなくエレメンタルであり、たくさんの人々によって崇められることによって強大な力を得ると同時に、一種の知性をも獲得するようになったのです。崇拝する者たちの祈りによって一層強化されたこれらのエレメンタルは、崇拝者たちに大きな影響を与えることができました。

 人々はたくさんの経験を積むと、それらの経験を記録する方法を見つけ出そうとします。自分や自分の子孫のために自分の信じていることを記録に残すためのもっとも簡単な方法は、シンボルを使うことである、ということに人々は気づきました。

 シンボルとして刻み込むことによって、人々は後になってそれらのシンボルが何を意味していたのかを思い起こすことができるようになりました。人々は自分が描いたシンボルの意味を子孫に説明することによって、自分の信念や経験を子孫との間で共有することができるようになりました。

 勿論これらのシンボルは、エレメンタル(生きた想念形態)を創り上げていたのです。エレメンタルは時としてこの上もなく強大な力を持つことがあります……。

 

ダスカロス著『シンボル・オブ・ライフ』より

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(左・ダスカロスが書いた生命の樹と、右・ダスカロス著『The Symbol of Life』)オンライン注文はこちらへ。(英語)

 アテシュリス博士はあなたを紀元前13世紀から14世紀の古代エジプトに連れていきます。

 当時のエジプトでは既に『シンボル・オブ・ライフ』はよく知られていました。彼は、シンボル・オブ・ライフと、エジプトのファラオ、アメンホテップ4世(アンクナトン)の急進的な治世、そして有史時代において初めて一神教が導入されたいわゆるアマルナ期の間の関係について明らかにしてくれます。

image ……ファラオであるアメンホテップ4世が(太陽神アモン・ラーの神殿で礼拝している時)、礼拝壇の上で、ケー-カウ(力を持った言葉)を大きな声で繰り返し唱えることによってアモン-ラーを召還していた時、太陽の黄金色のイメージの右側に赤い炎が現れました。

 そして次に、紫色の炎が太陽のイメージの中の黄金色の左側に現れました。その後、二つの炎の中に二人の人間のような姿が現れました。ファラオは意識を失い、礼拝壇の上で倒れてしまいました。コル-アトン[高級司祭]は、ウアスト(テベス)にある近隣の宮殿にファラオを連れて行きました……。コル-アモンはファラオに、自分もまた他の人々も二つの炎と二人の人間のような人影を見た、と告げました。ミク-ラー-ダット(その場にいた司祭のひとり)は、物質化した二人の人影はマッハ-エル(ミカエル)団に属する大天使とラー-プファ-エル(ラファエル)団に属する大天使だった、と言いました。

image 翌日ファラオは、司祭会議を招集しました……。そして、司祭会議を解散して新しい秩序に反対するすべての司祭たちを組織から追放することに決定した、と宣言しました。ファラオは司祭会議のメンバーに対して、自分は今や、絶対無限の存在であり、永遠の生命である、唯一神アトン(その象徴が聖なるアンクである)のみを信仰し崇拝している、と告げました。

 多くの神々を崇拝している司祭たちとファラオとの間で戦いが始まりました。……ミク-ラー-ダットとコル-アトンは、アプツ(カラナック)にある宮殿の中に、[霊的な太陽であるアトンについて瞑想し、アトンを礼拝するために]大広間を造りました……。そしてシンボル・オブ・ライフを設置しました。

 

 ……ある時、ファラオはカウト(祭壇)の前に立っていると、カウトの右側と左側に、赤と紫の二つの炎が現れました。マッハ-エル(ミカエル)が赤い炎の中に現れ、その燃え立つような赤い炎の中から歩み出て、自分自身を物質化し、コル-アモンに、傍に来るようにと合図しました。

 コル-アモンは立ち上がって、大天使に近づいていきました。すると大天使はコル-アモンを抱き寄せました。大天使の身体の半分が、コル-アモンの身体の中に入りました。

 儀式が終わるとファラオは、コル-アモンのことを「コル-アトン」と呼ぶことにしたと彼に告げました。そして自分の妻であるネフェル-ディーティ(ネフェルティティ)に対しては、「メリット-アトン」と呼ぶことにしたと告げました。それからすべての者たちに対して、これからは自分のことを「アンク-アン-アトン」と呼ぶように命令しました。

 両手を高く掲げて、ファラオは感情を込めて叫びました。

 

アトン ネター アンク ツテッタ エン ケー レック

唯一神アトンは、永遠の中で不滅の生命なり。

ネブ エン ペット カー エン ツ-ター ネター エン マアト

天と地の主であり、真実の神なり。

レック ア-アト ネブ セック-ヘム-アア エム ウツ ア-アリット アー-ア ツテップ

偉大なる主よ、生命と愛の主よ、地上においてなすべきことを我は熟知せり。

ツ-ター ネブ エン アンク ナー エン マー ア-アテッフ イ-イア ネック

聖なる父よ、我は御前に来たり。

 

 こうしてケムト(エジプト)で、霊と物質の間の、そして光と幻想の間の戦いが始まることになりました。

 

ダスカロス著『シンボル・オブ・ライフ』より

 このような、『シンボル』についての歴史や説明や解説が、ダスカロス自身の筆跡による元原稿と彼自身が描いた挿絵とともに、英語とドイツ語で記されています。もっとも最近ではダスカロス自身によって教えられたこの『シンボル』を通じて、私たちは私たちの転生の目的と仕事について、より深い気づきを得ることができるようになります。

1990年11月24日にストアで行われた
ダスカロスの講義より

 「絶対の存在は神なのですか?どこで私は彼を見つけることができるのでしょうか?」とあなたは尋ねるかもしれません。

 

 何世紀も昔、キリストが生まれるよりも何千年も前のことですが、人間はこうした真実を既に求め始めていました。どうしてでしょうか?なぜなら彼らは、「私たちは一体誰なのだろう?私たちは一体何者なのだろう?」という問いかけに対する答えを得る必要があると感じていたからです。神が一体何者であるのか、その答えを知ることなしに、これらの問いかけに対する答えを得ることはできません。

 何千年もの昔、人々は探求を続ける中で、「人間と動物との間の関係は一体どのようなものなのだろう? どうして人は動物を神々として崇拝しなければならないのだろう?」と考え始めました。

 古代エジプト人たちは、例えばアヌビスのように、ある種の動物を神として崇拝していました。ですが、彼らはそれで満足していたわけではありませんでした。いったいどうして動物を神として崇めるようなことになってしまったのでしょうか。

 それは動物が生きて、その生命力を発揮しているのを見ていたからです。そして人々は、生命現象の意味を理解することなく、単純に動物の形や姿を認識していたのです。これは間違いでした。

 人々は数多くの動物神を崇拝していましたが、ある日一人の司祭が、こうしたしきたりは止めるべきだ、と感じたのです。彼は、どうして太陽をアモン・ラーとして礼拝しなければならないのだろう、と自問しました。なぜ私たちは生きているのだろうか、どのようにして生かされているのだろうかと、彼は生命について考え始めました。

 

 恍惚状態の中で、アメノフィス4世(アメンホテップ4世)は、新しい洞察を得ました。甥のコル-アモンは、やはり司祭でしたが、彼の考えに賛同し、一緒になって二人は、数多くの動物神と、そしてまたアモン・ラーさえも、追放することにしました。彼らは「神は無限なる生命である」と言いました。アモン・ラーの代わりに彼らは、人智を越えた唯一神であるアトンを崇拝しました。

 古代エジプトの言語では、アトンとは、「理解不能である」ということを意味していました。アメノフィスは自分自身に、「アンク-エン-アトン」(アトンに愛される者)という新しい名前を付けました。そしてコル-アモンは「コル・アトン」として知られるようになりました。

 彼らは崇拝の新しい体系を宣言しました。そして彼らは、至る所に存在して太陽に光と熱を与え、人間と動物に生命を与える唯一神アトンを崇拝しました。しかしながら、当時の世界はまだ準備ができていませんでした。アモン・ラーを崇拝する高級司祭たちやアヌビス、そしてその他の神々は、自分たちの地位や収入を失いたくありませんでした。そのために彼らは二人を殺したのです。コル・アトンは刺殺され、アンク-エン-アトンは毒殺されました。これは、真実を明らかにしようとする先駆者達の身に必ず起こる出来事なのです。

 

 もしあなたが古代文明について研究するならば、例えばアステカ族やインカ族やヒンズー教徒たちの歴史に見られるように、たくさんの(似たような)話を見つけだすことでしょう。恍惚状態の中で、アンク-エン-アトンは真実を見出し、「私は私の中で、アトンが(超知性として)私に話しかけているのを感じる」と言いました。

(終わり)

 

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