StarPeople Vol.7 ダスカロス・ニューズレター『真理の探究者』より連載第6回
DASKALOS / Photo by Haralambos |
述:ダスカロス 訳:根本泰行 Researchers of Truth Newsletter からの転載 Copyright © by Pnayiota Theotoki-Atteshli |
ダスカロス(スティリアノス・アテシュリス:1912-1995)
生涯を通して無償で多くの人を救い、無条件の愛を示したヒーラー。多くの人々から尊敬を込めて「ダスカロス」(ギリシャ語で"先生"の意味)と呼ばれ慕われた。彼亡き今もその言葉と存在は、我々探究者の道を照らし導いている。
理の探求者(注1)としての私たちの第一の目的は、自己を実現することです。「自己実現」とは、私たちのパーソナリティーが、魂としての私たち自身を悟ることです(注2)。パーソナリティーの自己意識を魂の自己意識へと同化させるとき、私たちは私たち自身とは別の何者かになるのではありません。
そうではなくて、私たちは、過去・現在・未来に渡って変わることのない私たち自身の「真実」というものをはっきりと理解するのです。
「真理の探究者」のマーク |
「自分とは何か」ということを見極めていくことによって、「自己実現」へと近づいていくことができます。最初に、自分というものの基礎的な概略を学ぶことから始めることにしましょう。なぜなら、ただ言葉だけを使って全体像を一度に示すことは不可能だからです。詳細は後に示すことにしましょう。
「自分とは何か」という問いに対する答を見つけだす探求の旅を始めると、私たちは直ちに一種の二極性に出くわします。
この二極現象の一端には、永遠なる自由を持ち、決して束縛されることのない、個別化した永遠の「霊=存在」(注3)としての私たちの本質があります。もう一方の端には、一時的な存在(注4)であって制限された自己というものがあり、「現在のパーソナリティー」(注5)と呼ばれます。それは、絶えず変化するパーソナリティーとして、この一時的な存在の世界の中で奮闘努力しているのです。
しかしながら、私たちは二つの自己を持っているのではありません。そうではなくて、すべてを含む一つの自己がさまざまな状態として顕現している、ということなのです。パーソナリティーという言葉によって、私たちは、地上で生活するための媒体としての物質体とサイキック体(注6)、そしてノエティック体(注7)を指し示します。これは死を免れない部分であり、私たちがまとっているこれらの身体はいずれは必ず滅んでいく運命にあります。このレベルにおける自己表現は、私たちが今、理解しようとしている真実の自己ではありません。
物質体は表現するための媒体の一つであり、物質界に属するものです。
サイキック体は感情や願望などとして私たちが使用する表現媒体であり、サイキック界に属しています(サイキック界というのは実際にはひとつではなくて、たくさんの世界や副次元からできています)。ノエティック体というのは思考や理性として私たちが使う表現媒体であり、ノエティック界、すなわち5次元の世界に属しています。
地球上で生きている人は誰でも、自分たちが物質体を持っており、それは絶えず変化しているのだ、ということに疑いをはさむことはないでしょう。物質体は、形や大きさや重さなどの外観においては変化していきますが、人間の一般的な形態の枠組みから逸脱することはありません。
れでは、サイキック体やノエティック体についてはどうでしょうか。これらの身体も変化をしていくのでしょうか。
そうです。これらの身体も変化していきますが、その変化は、その純度において起こるのです。純度における変化とは、私たちが地球上やそれよりもより高次の世界にいる間に、私たちが表現しようと選択する感情や思考の質がもたらすものなのです(注8)。
私たちの物質体・サイキック体・ノエティック体は共存しており、互いに密接につながっています--すべてエーテル(注9)によって結合しているのです。
しかしながら訓練を積むことによって、私たちは、第一次エクソソマトーシス(注10)(体外離脱やアストラル旅行とも呼ばれています)の中で、意識的にサイキック体・ノエティック体を物質体から分離して、それらをお互いに独立した形で利用することができるようになります。
自己の気づきや表現媒体としての三つの身体を記述するために、ダスカロスやその他の人々は、多くの隠喩を使ってきました。そのひとつに、色の付いた三つの「笠」をかぶされたランプというものがあります。
この隠喩においては、電球は自己の気づきであり、三つの笠は私たちの三つの身体を表わしています。笠がきれいになればなるほど、そして透明になればなるほど、よりたくさんの光が周りに放出されることになります。
これは私たちの身体においても同様であり、私たちのパーソナリティーがよりきれいに、クリアになればなるほど、よりたくさんの内的な光が輝き出すことになるのです。私たちのすべきことといえば、まずこの私たちのパーソナリティーであるランプの笠をきれいにすることであり、そうすることによって自己の光が障害物にさえぎられることなく明るく輝き出すのです。一時的な存在の世界においては、これは決して終わることのないプロセスであり、霊的成長の進んだ者にとっても事態は同様なのです。
己実現」というのは、色の付いた笠の影響を受けることなく、自己の気づきの光を経験し、直接知ることなのです。そのために私たちは、最終的には、物質体・サイキック体・ノエティック体というランプの笠が私たち自身であると認識することが誤りであることに気がつく必要があります。
物質体・サイキック体・ノエティック体というランプの笠を取り除き、それらを超越していくとしたら、その時私たちはいったい何者になっているのでしょうか。
私たちは、本能的かつ自立的な機能を備えた物質体ではありません。また固有の幅を持った感情的感覚や欲望を備えたサイキック体でもありません。そしてまた、個性的な考え方を身につけたノエティック体でもないのです。それでは私たちはいったい何者なのでしょう。
それに加えて、私たちの三つの身体のそれぞれには、エーテル・ダブル(注11)というものが備わっています。単細胞の微生物であれ、巨大な鯨であれ、あらゆる生命形態はエーテル・ダブルを持っています。
エーテル・ダブルは身体の中にもありますし、身体を取り巻いてもいます。私たちのいわゆるオーラというものは、このエーテル・ダブルの発している光にすぎないのです。
私たちの物質体を構成している個々の原子のすべてにエーテル・ダブルがあり、それらが全体として物質体の完全なるエーテル・ダブルを構築しているのです。
大元素の大天使たち(注12)は、私たちの身体を創造し維持するのに、エーテル・ダブルを利用しています。物質体の鋳型となっているエーテル・ダブルの場の中の流れによって、エーテル生命力が分配され、生命や健康を維持し、身体の自立的機能が調整されていくことになるのです。
エーテル・ダブルは完璧であり、朽ちることがありません。しかしながら、病気というものは、エーテル・ダブルを損なうことなしに、物質体へと伝わっていきます。
テレパシーや透視能力や透聴能力やテレキネシス(注13)などと呼ばれるいわゆる超能力は、サイキック体の現象ではありません。それらはすべて、エーテル・ダブルと関係した現象なのです。霊的成長にとって欠かせないことは、私たちが自分のエーテル・ダブルに対して訓練を重ねることなのです。ダスカロスはこうした練習がとても重要であると考えていたので、ストアにおける彼の公開のレッスンには、毎回必ずといっていいほどエーテル・ダブルを使う練習が含まれていました。
ーテル・ダブルに関しての練習を積んでいくと、やがて必ず直接的な体験を生み出すようになり、これらの教えがあなたに伝えている真実をみずから体感することができるようになってきます。物質体・サイキック体・ノエティック体のエーテル・ダブルを使う練習を定期的にこなしていくと、三つの身体の間にバランスと健康がもたらされるようになります。
私たちは瞑想、集中、視覚化、そして内省のエクササイズを通して、エーテル・ダブルの訓練を行ないます。
(次号に続く)
このニュースレターの英語の原文は、以下のホームページで読むことができます。
http://researchersoftruth.org/
訳注
(注1)真理をともに学ぶ者をダスカロスは自分の兄弟姉妹と捉え、みずからのことを「兄弟としてのガイド」(a brother guide)と考えていた。なお、学ぶということの中には、書物や講義を通して学ぶことだけではなくて、自分の体験として体感として学ぶということが含まれる。後者なしに真理を探究することはできない。
(注2)「パーソナリティー(Personality)」(正確にいえば「現在のパーソナリティー」)とは、1人の人間としての性質や性格・人格のことであり、名前や身体の形態や性別なども含まれる。時空間の中でいずれは必ず崩壊する運命にある。「パーソナリティー」は、通常私たちが私たち自身であると考えている存在である。しかしながら、内省や瞑想などによって真理の探究を続けていくと、今まで自分自身と思っていた存在の奥底に、今まで気がつかなかった真実の自分自身が見出されてくる。
それは時空間に束縛されない存在であり、死ぬこともなく損なわれることもない人間としての最高の姿である。これを「魂(Soul, Self-aware Soul)」と呼び、「パーソナリティー」が「魂」へと同化することを「自己実現(Self Realization)」と呼ぶ。なお、人間としての属性が付与される前の、すなわち「人間のイデア」を通る前の、「絶対存在(Absolute Beingness)」から分かれた一筋の光としての存在は「霊(Spirit, Spirit-Ego-Being)」もしくは「聖なるモナド(Holy Monad)」と呼ばれる。
(注3)「霊=存在(Spirit-Being)」とは「霊」と同じであって、絶対存在から分かれ出た一筋の光であり、多次元にわたる自己のあり方の中でも最高次元のもの(絶対存在にもっとも近い)。
(注4)原語ではexistという英単語が使われているところを「一時的な存在」「一時的に存在する」と訳出した。ダスカロスの教えにおいては、始まりと終わりがある存在の仕方をexistence、始まりも終わりもない存在の仕方をbeingとして使い分けている。「現在のパーソナリティー」や「3つの身体」は existenceであるが、それよりも上位の自己存在はすべてbeingである。人間も本質的には、human beingであることに注意。
(注6)ダスカロス以外の体系では感情体、アストラル体などとも呼ばれる。
(注7)ダスカロス以外の体系では精神体、メンタル体などとも呼ばれる。
(注8)サイキック体とノエティック体は、浄化されるにつれて変化もしくは成長していく。浄化とは、私たちが抱く感情や思考の中身をつねに意識することによって、その中に含まれるエゴイズムを取り除いていく--きれいにしていく--ことである。
(注9)物質体・サイキック体・ノエティック体のいずれにも、「エーテル」で構成された「エーテル・ダブル」が存在している。
「エーテル・ダブル」はこれらの身体の鋳型となって働き、それぞれに「エーテル」としての生命力を付与している。
「エーテル」とは創造のための素材となるものであり、食物や酸素、太陽の光などを通して我々1人ひとりに与えられている「日ごとの糧」である。
(注10)エクソソマトーシスとはギリシャ語であり、体外離脱(Out of Body Experience:OBE)のこと。第一次というのは物質体から離脱することであって、サイキック体・ノエティック体から離脱することは、それぞれ第二次エクソソマトーシス・第三次エクソソマトーシスと呼ばれる。
(注12)四大元素とは「風・水・火・土」のことであり、それぞれ大天使ラファエル、ガブリエル、ミカエル、シャマエルが担当している。その他に大天使ウリエルが四大元素を調和する働きをしている。なお正確にいえばシャマエルは天使であり、大天使ルシファーが投影したエレメンタルである。
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