真理探究者の目的

Lesson for Researchers of Truth


英語版ホームページ 2001-12-25 掲載の"サークルレッスン"より

真理探求者の目的
"The Aim of the Researchers of Truth"

翻訳:須々木 光誦


ダスカロス日本語版ホームページ「真理の探求者」の教えを学ぶオンライン・レッスンにようこそ! このオンライン・レッスンは、基本的に日本国内の地域的制約(現在サークルが関東エリアと札幌に限られているため)によってサークルに参加できない方々を対象としたものです。


 この教えのルーツは、紀元前何千年にもさかのぼります。

 しかし、それは比較的最近になって「ダスカロス」として知られている、キプロス生まれの"ステリアノス・アテシュリス"によって現代にもたらされました。私たちは、その「真理の探求のためのシステム」を学ぼうとしています。

 それらの教えの探求に入る前に、私たちの目的が何であるかを明確にしたいと思います。

 私たちの探求方法には、一つの方向性があります。また如何なる目的や方向性にも、そうなってほしいと願う期待というものが内在しているものではないでしょうか。問題は、その期待というものが、しばしば真実を歪めたり、私たちの真実の体験に限界を与えてしまうという点です。歴史的には、絶対無限の存在である神への一般的なアプローチと言うものは、孤独に歩む道か、或いは組織や宗教を通してのものでした。

 

 このようなアプローチについて、10世紀に活躍したイスラム神秘主義者で詩人のニファリは、次のような教訓を遺しています。

 「何の指導も得られないままに海に身を投げるのは、非常に危険なことです。なぜなら、人は自分自身の中で起こっていることを、どこか他で起こっていることのように勘違いしやすいものだから。」

 これは、たった一人で、また何処に向かっているかも曖昧なままで絶対存在を探求する危険性を表しています。

 ニファリは続けて、「かといって、船で海を旅するのも、危険であることは変わりません。なぜなら、その人が乗物に執着してしまう可能性があるからです。」と言っています。これは、既成の宗教団体や組織を"乗物"に例えて、これらによる絶対存在の探求も危険であるという意味です。そしてニファリは、「このうち前者が、目的もわからず、導きもないままに人生を漂流するケースだとしたら、後者は手段が目的となってしまい、本来の人生の目的を見失ってしまうケースといえるでしょう。」と締め括っています。

 

 残された可能な道として、「真理の探求者」の教えは、それによって私たちの一人ひとりが真理を自分のペースで学び、直接的に体験できる「システム」を提供しようとするものです。従って、私たちは「システム」を共に学ぶ同胞であり、会員として制約を受ける組織や団体ではありません。

 この「システム」において、上下関係・権力・階級を示す指導者やグルという人物はいませんが、一人ひとりが真理への道をすすむための、ガイドとしての愛する兄弟姉妹が存在しています。このガイドは、あなたと神との間の仲立ち的役目を決して行いません。

 彼らは、「意識の覚醒(気づき)」という人生で最も重要で意義深い旅で、いつもあなたの側に立って支援してくれます。しかし彼らの支援は、神からの最も意味のある恩寵の一つである、あなたの自由意志を支配したり制約を与えたりしようとするものではありません。

 これらのガイドたちは、地球上にも、また物質界を超えた世界にも存在しています。この現象界において私たち全員に与えられる支援は、人間存在の3重構造的な本質へ向けられています。これらの3つの本質とは、私たちのパーソナリティーの表現である物質体、サイキカル体(感情体)、ノエティカル体(思考体)を指しています。

 

 如何なる個人もあるいは組織も、排他的に真理を主張することはできません。真理というものはすべてに帰属しており、またすべてが真理に帰属しています。真理の探求に禁制はなく、他のシステムから学ぶことは自由です。他の霊的に進化したマスターたちが主張すること比較することによって、私たちは真理により近づくことができるのではないでしょうか。

 しかしながら、この「システム」には、他のすべてのシステムが網羅している以上のことが含まれています。

 

 「真理の探究者」としてまず初めに、私たちは自分たちの肉体内のエクササイズから始めて、物質体である肉体の機能回復と健康維持の方法を学びます。私たちは、感情的な悩みや苦痛を和らげて、精神的な混乱を取り除くための智恵の習得とエクササイズを行います。私たちは、肉体的にも、サイキカル体(感情体)的にも、ノエティカル体(思考体)的にも私たち自身を浄化し、調和させるための方法を学び身につけていきます。これらの修養が自己のパーソナリティーに調和と浄化をもたらせます。

 このように、まず自分たち自身の調和を保てるようになれば、私たちの周りにいる助けを必要とする人々に支援の手を差し伸べることがより良くできるようになります。

 

 この肉体・感情体・思考体の健康で調和がとれた表現は、本当に素晴らしい達成といえます。しかし、これはまだ「システム」の目的の一部にしかすぎません。私たち「システム」の本当の目的は、"自己実現(セルフ・リアライゼーション)"です。

 この「自己実現」ということは、私たちの小さい自己とでも表現される「現在のパーソナリティー」の自己実現化、或いは現象界での過渡的表現体だけを意味しているのではありません。これは、必要な始まりですが、究極的な目的ではありません。私たちの「自己実現」とは、「霊―魂としての自己」が完全で完璧なる認識性を持続できる状態に到達することを意味しています。

 

 私たちの真理への道は、私たちの「システム」にある「エソテリック・ティーチング(キリストによる内なる智恵)とエソテリック・プラクティス(キリストによるエクササイズと瞑想)」との両方に完全に従事することにあります。エソテリック・ティーチングは、理論的骨組みを与えてくれ、相対的真理の観点から絶対的真理への道を指し示してくれます。一方、エソテリック・プラクティスは、その各過程で実践を通して私たちの行動に力を与えてくれます。

 私たちの目的である「自己実現」に到達するために、その両方が必須です。今後のレッスンで、私たちはティーチングとプラクティスの両面に取り組んで行きたいと思います。具体的なレッスンにはいる前に、「真理の探求者」の由来について簡単に触れたいと思います。

 

 私たちの「システム」のルーツは、3,300年あまり前の古代エジプト時代までさかのぼると言われています。それは、当時のファラオ"アケナトン"によって、地球上に初めて唯一の神を信仰する「一神論」が導入されたころでした。この様な時間の経過にかかわらず、私たちの地球上に顕されてきているあらゆる現実を支えているであろう「真理」は、過去も現在も変わることなく、また未来に渡って常に永遠なるものでしょう。

 

 「真理の探求者」の直接的な由来は、2,000年前までその起源をさかのぼることができます。それはキリストが誕生されたときより、ずっと以前のこととなります。

 

 インドで仏陀が弟子たちに、「私は、神ではない。しかし、神ご自身が今から500年後にお生まれになられるであろう。」と話されました。

 そして5世紀後に、この予言に関心を持っていたインドの藩王、マハーラージャ・ラムは、透視能力者を使ってキリストの誕生と場所を調査していました。神の転生が確かだと感じた時、マハーラージャ・ラムは、彼の母と兄弟に国を任せ、友人のチェキターナと共にお生まれになるキリストを探すためにインドを後にしました。

 

 旅の途上で、アルメニアを通りました。ラムはアルメニアの王の一人、カスパルと出会い、彼はラムの聖なる巡礼に加わりました。その後に砂漠で、彼らはバルタザールと出会います。

 彼は、当時9つあった遊牧民ベドウィン族の一つの王であり、アラブ人の占星術師でした。彼も、ラムとカスパルによるキリスト生誕を探す旅に参加しました。その後偶然に、彼らはベツレヘムの方角に明るい星を見つけ、そこにキリストがお生まれになったばかりの馬小屋を発見しました。このことより、彼らは聖書に書かれているように、3人の賢者、または3人の王、或いは東方からの3博士(the three Magi)と呼ばれています。

 

 ラム、カスパル、バルタザールの3人の王は、幼児キリストとジョセフとマリアをたたえ、敬意を表しました。

 マハーラージャ・ラムは、幼児キリストの前に膝まづき、彼の紫色と金色の外套を脱ぎ、キリストの足元に敷き、彼の白の内着を示しました。そして彼は、剣を抜き、剣先を足で折りました。

 それから、その剣先のない剣を神である幼児キリストの前におき、「汝の清らかな御足のもとに、オー ロゴスよ! すべての権威であれ。」と言われました。

 

 ダスカロスは、「真理の探求のためのサークル」のいろいろな段階のイニシエーション(加入儀式)に、その剣先のない、剣のレプリカを使用していました。「インナー・サークル」の同胞は、白いロングのローブを着ますが、これはマハーラージャ・ラムが王様に相応しい立派な外套を脱いだとき、内側に着ていた白い衣類を象徴しています。

 

 ラムが剣先を折り、それを幼児キリストの足元に差し出した直後に、"Ham El Khior" 叫びました。これは、彼の言葉であるサンスクリット語で「私は神を見た!」という意味でした。このことから、ラムは後世 Ham El Khior (Melchior/メルキオル) という名前で知られるようになりました。

 

 エピファニー(御公現の祝日/ギリシャ語で"出現"を意味する)は、「東方からの3博士」が訪ねてきたことに描かれているように、キリストがすべての人々のために来臨したことを記念しています。

 東方教会は、エピファニーを"Twelfth Day or Twelfth Night" (降誕日から12日目に当たるので)として祝います。12日目にあたる「1月6日」は、「東方からの3博士」が幼児キリストを訪ねた日として広く受け入れられています。エピファニーのお祝いは、紀元後194年頃から始められたと云われていますので、クリスマスよりずっと古いことが解かります。

 「東方からの3博士」は聖書に書かれているように、携えてきたプレゼントを贈り、それぞれの故郷に戻り「真理の探求のためのサークル」を創りました。そのとき以来、過去において別の名称で呼ばれたこともありますが、この系列の人々が本物の真理の探求者をこれらのサークルに入会させてきました。

 その時以来、いろいろな時代をこえて現在まで、これらのサークルは、「エソテリック・クリスチャ二ティー」(キリストの教えと内なる智恵)を推進させ継承してきました。

 

同胞である皆様に愛を!

 

楽しい休暇をお迎えください。

そして 新年が輝かしい年になりますように!

 

ダニエル

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【用語解説】

  • 現象界 (The World of Existence)
    物質界(又は、自然界)、サイキカル界、ノエティカル界を含んだ世界を指します。
  • 肉体 (Material Body or Physical Body)
    私たちの肉体は、物質からできており、この三次元という物質界に存在している間の乗物です。すべてのものはマインドからできていますが、そのマインドの波動数が最も低い状態のものを物質と呼んでいます。マインドは、絶対存在である神から放射されたものであり、この現象界のすべての天地創造に使用されています。存在する全てのものは、物質のように最も濃密なものから、最も洗練され軽い超素材まで、いろいろな波動数のマインドから創られています。
  • サイキカル体 (Psychical Body)
    サイキカル体は、感情体のことであり、四次元の世界での私たちの乗物です。四次元の世界は、サイキカル界、或いはアストラル界といわれ、「感情の世界」のことを言います。サイキカル界は、7つの層から構成され、それぞれがさらに7つの層に分かれています。この世界は、私たちが睡眠中に潜在意識的に訪れる世界であり、意識的な体外離脱で私たちのサイキカル体が最初に行く世界であり、また物質的肉体の死後、最初に行く世界でもあります。
  • ノエティカル体 (Noetical Body)
    ノエティカル体は、私たちの思考を司る体のことをいい、五次元の世界における私たちの乗物です。この世界は、現象界で一番洗練された世界であり、最も光あふれる世界です。この世界も7つの層に分かれ、ひとつの層がさらに7つの層に分かれています。
  • エソテリック (Esoteric)
    この"エソテリック"という言葉は、ギリシャ語からきていて、「内なる智恵」を意味します。これが「真理の探求者」で使われている"エソテリック"の意味するところです。従って、エソテリック・クリスチャニティーは、インナー・クリスチャニティーを指し、「キリストによる内なる智恵」の意味となります。本文では、キリストの教えと内なる智恵と訳されています。
    ダスカロスは、「私たちのエソテリック・クリスチャニティーのシステムは、すべての偉大なる宗教的伝承に知られている永遠なる真理を賞賛いたします。一方、 私たちのシステムは、「神―人」でありキリストである"ジョシュア・イマヌエル"の教えと新約聖書に堅く根ざしています。」と述べています。

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ダスカロスによる
「ストア・レッスン」より:

 霊的進化の階段を昇り、昇り、そしてさらに昇っていく……

それが「自己実現」です。これがすべての「真理の探求者」の本当の目的であるはずであり、少なくとも私が主宰する世界中にあるサークルではそうであります。

 

 私たち人間は、どのようにしたら私たちの本質を見つけ出すことができるのでしょうか?

 私たちの本質(霊―魂としての自己)は、私たちにその真の自己について解からせることが出来ないのではないでしょうか?

 どうして広大無限なるものに、制約があるのでしょうか? どうして永遠不滅なるものが、朽ち滅びるのでしょうか?

 

 この様な疑問に答えることが、まさに「現在のパーソナリティー」の役割なのです。そのためには、それ自身が先ず目を醒まし、おぼろな自己意識の状態を覚醒させ、霊的進化を高めていき、「真の内なる本質」のレベルまで広げていき、そしていわゆる「自己実現」に到達しなければならないのです。

 

 多くの人が、あるがままの「現在のパーソナリティー」を知ることが「自己実現」であると誤解しています。この間違いは、「真理の探求者のシステム」の生徒の中ですら起ったことがあります。彼らは、自己というものを彼らのパーソナリティー(肉体、サイキカル体、ノエティカル体)だけであると考えてしまったのです。私が「自己実現」というときは、この意味ではありません。もちろん、あなた方は、このポイント、すなわち「現在のパーソナリティー」というものを分析して知るところからスタートしなくてはならないということは事実でありますが。

 

 しかし、そこから一歩進めて、「私は、それだけではない。私は、それを超えた何かである。」と言いたいのです。

 私が言いたいことは、あなたが自分の肉体のマスターになり、あなたの感情(サイキカル体)のマスターとなり、さらにあなたの思考(ノエティカル体)のマスターになった後に、あなた自身が映っている鏡を壊さなければならないのです。そして、あなたは、あなた自身が依然として、そこに存在しているのを見なくてはなりません。あなたは、鏡の中の自己のイメージを見なくても、「私は、依然として自分である。」と認識できなくてはなりません。

 もしそうなれば、あなたは、「自分とは誰なのでしょうか?」と言う質問に自ら答えられるのではないでしょうか。

 間違いの発端は、3重の鏡の中に映ったあなた自身の影が、自分であると考えてしまうところにあります。肉体・感情体・思考体の3重の鏡は、大変に歪められたあなたの真の自己を映し出しています。あなたは、その鏡のなかのイメージをすべて捨て去らなくてはならないのです。

 

ダスカロス


このレッスンは全て、英語版WEBSITEから翻訳転載しています。
To Researchers of Truth Web Site contact@researchers-of-truth.org